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3人寄れば文殊の知恵

私の一生のテーマは「仲間」だったりする。
それは、今勉強中の易経からのメッセージでもある。
しかし、なんでも一人でやってしまおうとするクセは、幼い頃から治っていない。

私には4つ離れた兄がいるが、小さい頃から一緒に何かを作るとかいう共同作業はあまりやったことがない。
たとえば、「科学と学習」という、小学生のころに届いていた学習雑誌の付録の「日光写真を撮ろう」というものがあり、こういう付録を組み立てるのが生きがいだった私は、毎月その作業が楽しみで本の到着を待っていた。ところがある日兄がその付録を奪い取り、俺が作ってあげる、と言いだした。私は作ることが楽しみなのに・・とちょっとムッとしながらも兄を立てて作らせてあげた。ところがだ。結局部品を壊してしまってとうとう完成できなくしてしまったのだ。最悪・・
同じような経験が、母にも、父にもある。
「私がしてあげるから・・」といって壊してしまって「ごめんね~~!」で済ませる。
こういうことがあると、あまり人を頼りたくなくなってくるものである。
やっぱり自分でやってしまう方が楽だし簡単だし、いいものが出来る!とその当時から思いこんでしまったのである。

実はこれは大間違い。
家族は家族である。世の中にはもっともっと、能力も高ければ人格も素晴らしい人はいくらでもいる。そう、自分とは異質の存在をいかに受け入れて、コラボレートし、共同作業を行うことこそが人生の醍醐味なのである。

さて、社会人になってからというもの、すっかり人を頼ることを覚えたとはいえ、どこかやはり、心のどこかでは未だに自分一人でやった方が早いし。。。などと思う節が残っている。でも今のIT社会、日新月歩な科学の進歩によってもう既にちんぷんかんぷんな事象が圧倒的に増えてきて、もう一人で何もかもやってしまうことは完全にお手上げとなった。
ネット関係、パソコン関係についてはもっとも苦手とするところである。
こればかりは自分で勉強するにも範囲がもう限られている。やはり助っ人が必要となる。

今私が取り組もうとしているまちづくり関連のことなんて、それこそ「人」との共同作業があってこそ成り立つというもの。
私は八代に帰ってきて、随分多くの方々と出会い仲間として受け入れて頂き、形を変えながら色んな人と一緒に様々なことをやってきた。
全ては仲間なのである。
そして、その仲間は、「3人」が最低人数。
二人ではダメ。絶対に3人は要ります。
本気で事を推し進めるときには私以外の2人の方の力こそが全てを左右するのである。
これから新たにスタートさせていきたいことがあるが、その3人、、一体誰とやっていけばいいのかとっても思案のしどころなのである。
そこで、自分に言い聞かせるこことは
「異質を受け入れること」!
その気持ちが無ければ、うまく行きはしない、と。

 

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